※ネタバレを含むので下のリンクから先に読むことを推奨します。
自殺された方の遺稿であり、全体的に暗めな話なので閲覧注意です。
新仮名版と旧仮名版があるのでお好きな方を
新字新仮名
www.aozora.gr.jp
新字旧仮名
www.aozora.gr.jp
一 レエン・コオト
まず、全体的に読みにくい。馴染みのないカタカナが多いのは置いておいて、
助詞の連続だったり、節煙と頭痛の関係など思想が強く感じる。
思想が強いのは個人的に好きだし、
どれも単体だけなら読みにくくなることはあまりないが合わさるときつい。
読みにくい文の例
助詞の連続
僕は又はじまったなと思い、左の目の視力をためす為に片手に右の目を塞いで見た。
引用元
左目の視力や左の視力でも良いはず。
僕の姉の夫はその日の午後、東京から余り離れていない或田舎に轢死《れきし》していた。
僕の姉の夫は姉の夫だけでいいし、その日の午後を先にした方が読みやすいと思う。
ただ、助詞の連続は重言と同じで気にし過ぎも良くないので難しいです(旅行に行くやあとで後悔はつい使ってしまう)。
なにかを強調するためにこうしているのかも知れないが、初見では読みにくい。
思想が強い文
眼科の医者はこの錯覚(?)の為に度々僕に節煙を命じた。しかしこう云う歯車は僕の煙草に親《したし》まない二十《はたち》前にも見えないことはなかった。
言葉尻を取るような形で申し訳ないが、見えないことはなかったという文は煙草によって悪化した可能性を否定していない。
医者が節煙を命じるくらいしか対処が思いついていないので気持ちがわからないこともないのだが、一度くらい試しても良いのではないだろうか。
羅生門はもう少し読みやすかったはずなので、どうして読みにくくなってしまったのか
ちょっと気になる。
二 復習
なんでかわからないが、僕の姉の夫が姉の夫に改善されている。
最初は轢死とぼかしていたが自殺、
物語上で登場する轢死は自殺以外も存在するのかな。
主人公が暗いという読み慣れていない文なので少し不信感がある。
いろいろな話が同時に進行していて、全体的に焦点の定まらない話になっている気がする。
三 夜
話が重い。
嫌な記憶から逃れたくカフェを眺めて落ち着こうとしたのに、柄が合わない程度で不快に感じる。落ち着きたいなら不快に感じる部分を無視して、好きなところを探せばいいのに……
歯車が回りだしても頭痛を感じる前に眠ればなんともないというのも、起きていることがつらいみたいで重い。
私の文が読みにくく、人のことを言えないと自覚はあるのですが……
妄想や夢の描写は文だけだと読みにくいです。
四 まだ?
死は姉の夫に迫っていたように僕にも迫っているらしかった。
義兄の死より自分が火を見たことの方が不安に感じたのは自分自身が死ぬことを恐れていたからなのか。
あと、死が迫るという表現が良いですね。人には寿命があるので常に死が迫っていると言えますが、その場合、迫るよりも近づくの方が適切なのが良いところ。
五 赤光
なぜ僕の母は発狂したか? なぜ僕の父の事業は失敗したか? なぜ又僕は罰せられたか?
母の精神病と父の事業の失敗は関係性がなく、また、頭痛とも関係性がないのでこれらが連続して起こるのは奇跡と言っても過言ではない。つまり、悪魔の仕業と言っても問題ないように感じるが、
「けれども光は必ずあるのです。その証拠には奇蹟があるのですから。……奇蹟などと云うものは今でも度たび起っているのですよ」
「それは悪魔の行う奇蹟は。……」
精神病院に行くことを嫌って黙り込んでしまう。
この人も闇の中にいて、話したところでこの人が解決してくれるとは思えないのですが、そこから誰かに伝わり助けてくれる人がいるかも知れないので、もやもやする。
一般的な物語の主人公らしくなくて面白いですが、悪い方向にしか行かないですね。
主人公は光のない暗(やみ)にいると書かれているが、
片頭痛持ちなので一時的ではあるものの
ペンを走らせているときや原稿を完成させたときは少なからず光があったはず。
六 飛行機
レエン・コオトが強調され過ぎている気がする。
物語上にどことなく言葉の繋がりがあるのかなと思っていたら、名前がストリントベルグのスウェーデン人……
気づくのが遅すぎましたが、言葉に繋がりがあるのは先を想像できるような気がしてとても面白いです。何かを連想させる文というのは意外性があります。
姉の夫に似た顔の人物、鼹鼠の死骸、歯車などの恐怖からこれほどの死を連想させて、物語上では死なずに終わるのか。なんか、裏切られたようで面白い。
ただ、最後の文がちょっと寂しく感じます。
――僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?
自殺と他殺ではハードルが大きく異なり、この文章を書いたときは他殺で殺してくれることを望んでいる形だったが、結局、自殺してしまう。
他殺なら、自殺できない理由である自責の念に駆られることもなく、失敗してしまったときの後遺症を心配する必要がないためとても楽で、殺されても良い人生だったという文は物語でもたびたび使われる。
自殺してしまうラインというのは人によって変わるからあまり深く言えないが
動機が弱い。
動機になりそうなことは、歯車の頭痛、母の精神病、父の事業の失敗、自分が発狂することへの恐怖だと思う。常にイライラして生きるのもどうかと思うが、どれも自殺するにはいまいちな気がします。
死ぬ理由の一つである自分が発狂して周りに迷惑をかけることも自殺に深く関わるとは思いますが、生きる理由(文を書くこと)を失ってしまったことも関わりそうです。
ここまで自殺に関して書いたが
芥川龍之介 - Wikipedia
を見ると後追い自殺があったらしく、動機が曖昧でも自殺できる人はいるのかも知れない。
最後に
正直、こういう文章は読んでいるとイライラします。
自殺スレやせん妄裁判の誹謗中傷とかで慣れていたはずですが、慣れが足りなかったみたいです。
気が滅入っているときに読むのは良さそうですが、まだ花粉のつらい季節ではないので春になってから読めば良かったと少し後悔しました。
しかし、言葉の繋がりというのはなかなか面白く良い作品だとは思います。
疑問に思うこととしてなぜ自殺する前に、自分が死ぬような文章を書けるのか。
自殺する予定なのに文を書く気力が湧くのか。
このような文章を書くことで自殺するように自分を追い込んでしまうのではないか。
せっかく書いた文を公開する前に自殺してしまっていいのか。
といったことが気がかりになる。
この作品の文字数が3万字近くあり、1万字書く程度で苦戦している僕からしたらこれを残して死ぬには勿体なさすぎる。
……そもそも、未発表のまま死んでも良いとした作品に対して感想を書くこと自体間違っているようにも感じる。